| Vol 11 |
気まぐれ臨時号
◆ 臨時号ラインナップ
|-大変失礼ながら
|-音楽はいいもんだ
|-サンフランシスコは坂の街
|-自己責任だから育つ
大変失礼ながら文章を書いている本人がつまらないのでは、読んで頂ける皆さんはもっとつまらないのではないだろうか。ここのところ時流に流されてはダメだ的論調で、世の既成組織、団体に向かって批判的な文章が続いたため、気がつくと私自身が一番注意したいネガティブ人間になっていたということだ。「おっといけねぇ〜」と、ばかり、思考回路を太陽の如く明るい方へ向けようとするのだが、いったん暗い方向へとった舵は重くて戻らない。
そんな訳で前回行ったアンケート調査の感想を書かないでいた。もしも書き出すとその文体は間違い無く中傷や嘆きの文章になっていただろう。これでは何も前へ進まない。傷を舐め合う負け犬の如きである。事実として不正のオンパレードの世の中にあって、清く正しく生きている人はどこに居るのだろう…・・と思うことばかりである。ということで最近の私の心境なんぞ、書いてみたが迷惑ですよね。みなさ〜ん。
■ 音楽はいいもんだ
久々にボブ・マレー聴いた。
レゲエの代表的アーチストに同時代を生きたジミークリフがいた。彼の題材は愛や恋といったものが多かったような気がするが、一方ボブ・マレーは自然の営み、自然の生成など、この自然界から与えられる恵みに感謝し、「気にしないで行こうよ。なるように成るよ。」というメッセージであったようだ。
いつもいつも詩を読んで音楽を聞いているわけではない。奏でられる楽器の音色や歌い手の声質など、リズムを聞いている自分の魂に深く入ってくるかで腰も動くし、気持ちが高ぶる。また感動で生きかえったような感覚を与えられ明日の活力という勇気をもたらしてくれるものである。
そう云ったことでここのところの低空飛行を自身の感性でスロットいっぱい引いて上昇する感覚を味わっている。
■ サンフランシスコは坂の街
ダウンタウンの中心にユニオンスクェアーという猫の額ほどの小さな広場がある。その横に大手デパートのメーシーズがある。そして通りを一つ挟んだ交差点の角に露天の花屋がある。
懐かしい記憶を元にこの文章を書いているのだが、ドラム缶の上にまな板宜しく、数十本のバラをわし掴みにして、丸太棒のような腕から振り下ろされる木槌、バラの刺を落としていた男の顔が浮かぶ。
どこから見ても1960〜70年代のアメリカ激動の時代を青春した親父である。笑うと歯がない。ロングへアーをバンダラでまとめ、黒の皮ベストにTシャツでハーレーダビットソンにでもまたがれば、まさにグレードフルデッドの親衛隊「ヘルスエンゼルス」である。
そんな花屋から私の友は赤いバラを6本買った。ラッピングは新聞紙である。坂の上から毎日夕方降りてくる女性にプレゼントするためである。残念なら降りてくる方向は南のため、カリフォルニアの夕日を背に受けると言ったようにはカッコ良く話は運ばなかったが、それでも坂下で待つ友の仕草が振るっている。
片ひざついて両手でバラを持ち、坂を降りてくる女性にささげるのである。女性は悲鳴を上げて不可解な行動を取ることなく、ニコッと微笑み、さり気無く受け取り去っていた。そのスマートさに好感が持てた。
結果は私の友は見事に振られたと言うわけだが、その場で私たち仲間はその友の勇気に拍手喝さいを贈ったのは云うまでもない。
中身の良さは二の次でラッピングにこだわり、セロハンかけてリボンをつけなきゃ納得しない日本のお客の感性を、なにか寂しく感じる。携帯電話という物質に文化を匂わせるより、こういったプレゼントの気持ちを文化として花に託し根付かせてほしいものだ。
◆ 自己責任だから育つ
大リーグの球場を見て驚くのだがグランドと観客席の境にネットがない。観客はゲームの進行に目を凝らす。ベースボールはボールを投げ打ち返すという単純なゲームである。その結果ボールが四方八方に飛んでいくという当たり前のことを当たり前にアメリカのベースボールファンは受け入れる。
ボールから守ってもらおうなんて考えさえない。飛んでくるボールに一心だ。つまりファンもゲームに参加しているということである。これがスタジアムへ足を運んでいる理由だ。
そう云った中、子供たちはグラブ片手にベースボールという文化を身につける。いや、楽しみを覚えると云った方が正しいだろう。
つまり、こういった楽しみの本質を奪わないという姿勢がアメリカ国民にベースボールが支持される理由だろう。
一方、日本の球場は野球と観客を隔離したがる。そこには安全管理、責任転嫁という姿勢が存在する。また、ハッピ、笛太鼓、のぼり、大旗、声をそろえて唄うという事がプロ野球ファンだという錯覚に陥る。こうして益々、野球を楽しむと言う本質から離れていく。
どうも選手のサイン会、ファン感謝デー、キャッププレゼントなどという催し物だけが、ファンサービスと思っている節がある。動物園のように檻の外から眺めるような環境にスタジアムがなってしまっては足を運ぶ意味が見つからない。
選手は檻の中の動物ではない。世界で一番のベースボールファンは誰あろう、プレイする選手である。その選手が楽しめない環境では、ますます野球を愛する一流選手は日本から離れることは間違いない。
一流選手ほどその愛情度というモチベーションは高い。また、ファンも然りである。ひょっとして球団経営者、私設応援団、スポーツマスコミが一番モチベーションの低い部類かもしれない。
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