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Vol  26
eメールが唯一の情報伝達手段


ネットショップを運営する者にとって、メールのやり取りは相手(お客)を知る事の出来る唯一の手段である。また、一方のユーザーもサイト運営者から返されるメールの文面やレスポンスなどで、その素性を判断するものとなっているわけで、実に画像や商品情報よりも真実を見極められる情報となっている事を自覚する必要がある。


実店舗の接客と同じ意味合いのあるものだ。
つまりメールはウェブでの接客とも言える。その為対応次第では営業成績にも大きく影響を及ぼすということだ。

だからサイトデザイン以上に神経を使い、また適切に運用しなければならない。事実においてメールテキスト主体のサイト運営で大きな利益をはじき出しているサイトもあるくらいだ。

注文フォームより送られて来た顧客情報などは効率性と管理ミス防止を兼ねてデータ化され事務的で構わない。かえってその方がお客さんへのサービスにつながるからだ。しかし、お客に対しての返信文に少しの工夫が欲しい。

どこにでもあるような例文を引用したビジネスメールは味も素っ気もない。商品確認やお届け期日などの情報は事務的雛型での文例で構わないが、その中に人間味のある文章を忍ばせるくらいの工夫をして欲しいものだ。


先に書いたように、お互いの素性を知り得る方法はメールしかないといったが確かに、電話や実際に訪問して店を確認するという事もありえるが、そんな手間を省きたいがためにインターネットを利用しているわけだから、ここではこんな論議は意味を持たない。


だからこそネットショップ運営ではメールが唯一の伝達手段と書いたわけだ。そういった意味において、より一層のメール術を向上させる事が大切だ。メールの文面でお客様に感動や喜びを与えられることが一番だが、プロの書き手ではないのであるから、そこは運営者の人柄が垣間見られるような文章を書く訓練を日ごろから行うべきである。これで確実に売上も違ってくる。



匿名とは

用件だけを書きこんだメールには感情移入がなく冷たい感じがする。また、一方的な質問だけを書きこんだ問い合わせも然りで何を目的に質問をしているのかわからないものもある。あまりにも情報不足のメールには答え様がない。

また、良くある問い合わせの中で、どういう方向性のホームページを作れば良いか、という質問はまだましだが、いきなり「売れません。どうすれば…・?」という質問には答えに窮することがある。そんな時は顔の見えるサイトにしてください、と私はあえて抽象的な答えを用意する。


なんでもかんでも自分の情報を明らかにする必要はないのではあるが、せめて質問した時くらいは姓名を名乗る事と質問する目的に至る経緯くらいは、伝えるて欲しいものだ。それが礼儀というものだ。

また、マスコミの過剰報道の影響で出会い系サイトなどの事件や掲示板などの中傷などで、個人攻撃があるということも事実であるが、自己防衛にあまりにも過敏になる必要もない。過剰な自己防衛で無記名なメールでのやり取りは、最初からやりたくないものだ。そんな人は「2ちゃんねる」ですき放題書けば良い。

もちろん住所・電話番号などを知らせろとは言わないが、特定の相手にメールを書いているのだから、何度も言わせてもらうが名前くらいは明かすべきと思う。要するに自己責任の中での判断である。

マッチングに優れているインターネットが悪いわけではない。また、数々の機能が開発されて益々顔の見えない情報伝達が進む中、買い物をするにも機械を相手にするような味気ないサイトに人気が出るとは、私には思えないし、買いたくもない。



プライベートサイトとビジネスサイト

プライベートサイトとは正に私的な領域だ。自分の考えや目的の為には、誰が見ていようが構わない。自己満足を達成させる為の道具として使う。インターネットルールさえ守れば法則もないし責務もない。まあ、堅物の考えを持っている人々からみれば、限りあるプロトコルを無駄に使うなというかもしれませんが、それも空虚な訴えだ。


しかし、たとえ私的なサイトでもそこにインタラクティブな世界を求め出すと全く違う方向へと進む。つまりアクセスアップやメールが欲しいなどということを求め出す事自体が、もう閲覧者という不特定多数の人影を意識するからだ。

更に営利を目的とするようになると運営手法がまた大きく一変する。今度はエンドユーザーを全く無視できないという事だ。無視出来ないというよりも意識を最大限に維持しなければエンドユーザーの気持ちが掴めないという世界を経験する事になる。


あまり好きな言葉ではないが、お客様本位というもので、ある意味、自分のサイトであって自分のサイトではないというパブリック要素が含まれるからややこしい。エンドユーザーは我侭でその対応をどうするかという事に運営者は神経を尖らせる覚悟が必要になってくる。


つまりサイト運営とは自己の存在感を不特定多数の人々に認めて欲しいという気持ちの現われで、相手あってのサイト運営という事になる。

その為にSEOでアクセスアップを図り、ボタンの配置でPVアップやクリック率をあげる事に躍起になるのである。また、資金的な問題を解決できれば様々な有料アクセスアッププロモーションを仕掛ける訳だが、しかし、いくらアクセスアッププロモーションを仕掛けてカウンターの数字を稼いでもウェブサイトコンセプトが的を外していれば無駄な投資となってしまう。


私はこう思う。
商品の属性情報や商品画像はひとつの販売手法であって、購買意識にまで達しないのではないか、もちろん目的買いで訪れたユーザーであってもこの法則は機能する。それは、その商品を買った後の生活模様がどのように如何にユーザー各々が連想できるかという事だと思う。

具体的にいうと商品を買ったその時から後、どんな楽しい事があるのかということだ。その至福感がユーザー意識と合致したときヒット商品は生まれ、更に本物だとロングセラーとなるように思う。

びっくり価格で手に入れた場合はもう二度とこんな価格では買えないというお得感(至福)を手に入れたからで、多くの人々がバーゲンに群がるのは、商品そのもの物質価値より、このお得という幸福感を手に入れるための購買意識の表れだ。


だから、同じ商品で何度もバーゲンやると客足は落ちる。また、味もわからない人が関アジや関サバに群がり、また、ルイヴィトンやエルメスを競うように買いあさり現象も名古屋地方で良く使う「お値打ち品」という言葉のニュアンスに似たものがある。

つまり、モノ(物質)そのものではなく、満足感という見えないモノを欲しているという事が良くわかる。まさに昨今のデフレで苦しむ日本経済をあらわしている。

どんなに機能的に優れた商品でもその幸福感をエンドユーザーが連想できないものは、ウェブでもそうだが、埋もれてしまうわけだ。



人気サイトとなるヒントは難解なパズルの奥にあるのではなく、私たちが生活しているほんの身近なところにあるように思う。エンドユーザーの性格を理解することだ。買う方は好き嫌いという本能から物を求めてから、それはそれで良いのだが特に売る側は案外このことを忘れているようである。


だから、何か秘策はという期待感で問い合わせが私のところに有るのだと思う。この様な視点をお持ちでないでネットショップを開設しても時間の浪費とまでは申しませんが、大きな資源ロスに繋がるのではないだろうか。

だからここでいうモノを欲しがると言う深層真理を踏まえてアプローチしないと皮相的なものしか見えなくなってしまう。隣でミニブーケが売れていると聞けばミニブーケ。また、ユニクロフリーズがヒットすれば、どこでもフリーズ。

そして、お決りの形だけを追従することになってしまうのだ。

正直思うのだが、ウェブでの人気サイトやカウンターの回っている物販サイトはトレンデイという言葉は似つかないサイトが多くあるのも事実だ。


そこでなぜ、そして何がエンドユーザーを動かしているのかと言う事を考えるとこのようにまとめるしかないように私は思う。だからこそ、これさえ掴めば怖いもの無しのはずだ。あとは想像力旺盛に商品力を高めるだけである。

創って楽しい、売って楽しい、買った後も楽しいという幸福感がどれほど味わえるのかと言う一点に商売の魅力は集約される。また更に売る側としての心構えはユーザー側の立場、いわゆる買ったその時、その後にどんな幸福感がその商品から得られるのかと言う、柔らかいに解説が必要になるのである。ここは一層の研究を積まれて優良なサイト構築に励んで成功して欲しいと思う。


・乗り物は時間を縮めて新たな時間
・旅行は非生活観の体験
・ファッションは個性の増幅感
・出会い系サイトは自己存在の擬似確認
・インターネットは他人と自己との確認
・無添加食物は健康


以上は、ほんの一例だが、では花を買えば何が起るのか?
また、花専門のウェブサイトを見たら何が味わえるのかという点にコンセプトをフォーカスすれば、少し語弊があるかもしれないが、あとは扱う商品は二の次で売れるようになるのではないだろうか。もちろん良品が前提であるが。

その幸福感が連想できない商品性能や特徴をいくらコマーシャルしても売れないという事を知るべきだと思うし、また、このような初心を私たちは忘れているのではないだろうか……・。

・新鮮だから花保ちがよい…・だから次に来る楽しさは?
・産地直送…・・だから・・・・?
・花は癒します。……だから?
・ 大量仕入れ…・・だから?
ここでのだからのあとを柔らかく解説することが大切なのです。

ここに上げた例はウソでない。しかし、後の幸福感をエンドユーザーが思い描けるほどの幸福なストーリーが描かれるかは疑問の残るところだ。



編集後記
厚生省のIHV訴訟に始まって、企業の情報隠匿から招いた乳業問題、牛肉、そして国会議員の秘書給与問題。また、北海道のあるスーパーの肉の不正販売の結果、事後決着を図ったための対応のマズサは要求する側対応する側、両者の醜い部分のみが露呈した結果になりました。


さらに発ガン性があるため禁止された農薬使用で全国の一部野菜生産農家に暗雲が広がっています。海外から入ってくる単価の安い農産物に対抗する国産物は極限までのコスト削減を強いられます。その過程に置いて生産効率から悪い事とは知っていたが、やむ追えず禁断の実に手を出してしまったという構図が見えてきます。

その一方で無農薬野菜や有機野菜がマスコミに取り上げられ、着実にその勢力を伸ばしている事は歓迎される事と思います。

また、なんとタイムリーといわざるおえないユニクロが経営母体となる「skip」の安全野菜販売。まるで今日の出来事が見えていたようなプロジェクトです。それとも従来の農産物生産現場での危機感がそうさせたのでしょうか?そうだとすれば応援したくなります。

花も然りで人体に影響があるような農薬と知っていながら連作障害対策で危険な農薬を使う農家もあると聞いています。どんな薬を使ってもそれは堂々巡りでいつかは断ち切らねばならない事だと思います。

鑑賞用としての花ですから口には入れないといっても手についたものは…・・と考えると。農産物の二の前にならないとも言えません。決断が早いか、先延ばして取り返しの付かないほどのほどの荒地にするかです。

右を見ても左を見ても経済構造が傷んでいます。
もちろん花の販売現場も然りです。時代は変りました。
それに気がついて変革を志したものが先の充実という世界を満喫できると思います。



◆花屋の本音トーク (花の話題に限定していません。)

もう、語り尽くされた感が否めない日本人の信仰心についてですが、神社、仏閣、教会と生まれて死ぬまでの人生の中で必ずお世話になるところです。


私の記憶に有る中で一番最初にお世話になったのが神社での七五三です。千歳飴が甘かった。

次にカトリック系の幼稚園で十字を切ります。
食事の前に必ず園長先生が神へ感謝の祈りを捧げます。
幼い私のお腹はグ〜っと鳴っています。お祈りどころではありません。
早く弁当箱の蓋をあけたくてムズムズしています。
やっとのことで弁当箱の蓋を開ける許可がでました。
お弁当の虜となっていた私は弁当箱へ突進します。
その時です。勢い余って蓋を開けたとたん手が滑って無情にも弁当箱は………。

あとは私の大きな鳴き声が幼稚園中に響き渡りました。
これが記憶に残る私と神との最初の遭遇です。
神は幼い子供に食事制限を与えます。(良い解釈…ダイエット)

二度目の出会いは神道の神です。小学校のプール開きで、神主さんの祝詞の言いまわしが面白く、友と二人でクスクス笑ってしまいました。
その時です。頭のてっぺんに痛みが走りました。
担任の先生の拳骨2発です。友はその日プールで溺れかかりました。
神は痛いです。水の中は息が苦しい。(良い解釈…生きている事を知りました。)

三度目は小学校高学年の時の父の葬儀で仏式です。
その仏式が特殊でして、信仰が足らないから生きられなかったという総括を求められたような記憶が私にはありました。幼い心に残った宗教の矛盾でした。仏様は反省を幼い子供にも促します。(良い解釈…間違いは早期解決)

その後、私は神仏の前では神妙にする振りをしています。
大人になって知恵を身につけました。
偶に賽銭というワイロで神仏を買収しょうとたくらみます。

ボランティアでお金を出すなら、お腹のすいた子供におにぎりを直接手渡しで笑顔をもらおう。


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