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■ 成功する法則と利己心
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成功する法則と利己心
自分もしくは自分が身を置く会社を自分の目と心で客観視することはそう簡単な
ことではありません。なぜならば、誰にもある「利己心」が働くからです。
過去において失敗した数と同じだけの反省(後悔)をやっているはずなんですが、
どうしてもいざとなるとこの「利己心」が働いて判断が鈍ります。
何が間違っているか?どうしてこうなるのか?
という原因究明が出来ない場合が多いのはないでしょうか。
また、一方ではアダム・スミスが残しているように経済の発展は、この利己心が
あるからだといっています。他の人のために博愛心をもって、人はビジネスを
行っているのではありません。自分の利益(幸福)を限りなく求める過程で、結果
として顧客にとって利益となる商品を提供しているに過ぎません。
だから、この厄介な「利己心」も時として必要であるということなのでしょうが、
なぜ、物事がうまくいかないのか?また希望するような成績が取れないのか?
という問題を見つけ出したい時の「利己心」は邪魔者以外の何者でもありません。
物事の内情を知り、内からの事情のみで、どうしても判断してしまう思考の中
には以外にも、外からなら簡単に見えてしまうメカニズムも見えないことが多い
ようです。そんな時、まったく利害関係の無い外部の人に意見を求めるのも
ひとつの手です。
しかし、利害関係が無いといっても、親戚や親しい友、また仲の良い同業者など
は感情が入りますから、これも避けた方が良いでしょう。本当は感情的にならず、
最も客観的に判断してもらうにはやはり外部のアドバイザーやコンサルティング
を業務としている人々に意見を求める方が良い結果が期待できるのでは無いで
しょうか。
「ものの道理を簡単に素直に解釈しましょう。」
結果が出ないということは何かが悪いということです。日頃、多くの取り組みで
改善を行い、結果を期待していると思いますが、答えが出ない時には、どうしても
自分の行っていることが、本当に正しいのかという疑問が出てくるものです。
多くの取り組みもすべては連動していますから、ひとつの取り組みが
すべての効果を狂わしているということもあります。
つまり、どこかにボトルネックが存在するわけで、それを見つけ出し改善すれば、
すべてがうまく回転するということも多くあることです。
これを見つけ出すには、冷静に客観的に分析するしかありません。その結果、
自分に不利な答えが出てくる場合の方が多いわけですが、ここは勇気を持って
やるしかありません。チャート図などで、すべての思いつく関連した項目を書き
出して、自分の行動や思考などとの整合性を見るとよいと思います。
1、はたして自分の事業は地域に必要なものか?
2、地域の物価に適応した価格帯か?
3、出向くことの多い仕事で今の場所で営業を行う意味?
4、商品のマンネリはないか?
5、インターネットなどのデジタル対応は十分か?
6、具体的な営業活動を行っているか?
7、売り上げとのコストバランスは?
8、営業時間の正当性
9、ターゲット設定に間違いはないか?
10、しっかりと正対して接客しているか?
11、客の領域はあるか?
12、店員の服装
などなど。
注意:(インターネットのみで販売を行っている業者は、また別の見方が
ありますから参考まで。)
ほんの数例のチェック項目で、他にまだまだ沢山ありますが、
以上のような感じで自店を客観的に分析してください。
ともかく、一番大事なことは厳しく客観視することです。
この部分で言い訳やお店の都合で答えを出さないでください。
お客様から見て悪いものは悪い、ダメなものはダメなのです。
これが分析を迷走させない大切なポイントです。
今回はこれで終わりです。
では、また次回をお楽しみに。
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■ 編集後記
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私の尊敬するある人物は、この「利己心」をこう捉えています。
「私の人生観はあらゆるものへの欲を炎のごとく燃やせ。」と
しかし、そこには厳格な掟があると、
その掟とは「他の者の幸福を妨げてはならない。」という。
自分自身を歓ばすために、あらゆる欲を持てということですが、
コンプライアンスの微塵も感じさせない企業モラル。
消費者を欺き、姑息に利益を追求する企業の姿と自己を歓ばすための
あくなき欲への追求は似ているようで似ていない。
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■ 無手勝流師範(勝手気まま!)
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価値判断の柔軟性
日本の裁判判決で有罪率99.9%という現状に皆さんは疑問を感じませんか?
とっても優秀で検挙率の高さを誇る日本警察力とそれを立証する検察、そして、
その検察の訴状を支持するかのような司法の裁判官のお陰で限りなく100%
に近い有罪判決で日本の裁判制度は有罪率を維持しています。
つまり、無実証明の有無を問わず警察にしょっ引かれ検察の調べを受けたら
一貫の終わり、あなたも前科というレコードが残る犯罪者です。
「疑わしもの被告の利益」という裁判の原則が無視されています。
だって、捕まえた容疑者の99.9%が真犯人というのは、どう見ても、
また、どんなに贔屓目にみても、統計的に、こんな確率はありませんよね。
最近では、ホリエモン(元ライブドアCEO)や鈴木常男(国会議員)佐藤優
(外務省官僚)の発言や著書で、「私は国家権力に嵌められた。」と漏らします。
それぞれの事件が明るみに出たとき、報道各社のスタンスは、ご存知のように
悪人一辺倒です。特権的な公共電波使用許可を得ている数少ないメディアが
こんな感情的報道していいものかと思う。
また検察から調べを受けるような人間は絶対にクロ(悪人)だという見方で
多くの国民はこれらの報道を受け入れます。
まさに「煙の無いところに火はたたない。」という古臭い時代錯誤も甚だしい
偏った見方が私たち国民の潜在意識の中にあるからでしょうね。
そういう国民の潜在意識をうまく利用するのが、マインドコントロールです。
これを国家が行うことを、プロパガンダといいますね。過去において日本が
戦争へと突き進んだ時も報道管制を行われ、国家に都合のよい広報のみで
都合の悪い情報は流さなかったわけで、これを防ぐ方法はマスメディアの
報道モラルです。
しかし、そのマスメディアが報道モラルを保てず権力に負けていたのでは
先行く不幸は見えています。
自らを「悪の番人」「正義の使者」と勘違いして、偽善臭プンプンの正義感
を大上段に構え、感情的で聖人君子ぶったニュースコメンテーターや取材記者
を多く見た時、私のマインドは極限で下がります。
ところで、話題の映画でしたから、ご覧になった方も多いと思いますが、周防
監督作品の「それでも僕はやっていない。」のシーンに出てくるように日本の
裁判制度の問題をこの映画は描いています。
この映画の中で、私自身がもっとも印象に残ったシーンは、二人の裁判官の
対比です。その対比部分とは、「傍聴席に対する裁判官の判断です。」
一人の裁判官は定員を超えた傍聴者に「つめて座れば・・・・。」と
定員オーバーを許可します。しかし、一方の裁判官は規則だから、また、
この法廷は私の法廷だといって定員オーバーを許可しません。
そこで私はここでの傍聴定員の規則とはなんだろうか?という部分に疑問を
持ちました。確かに、規則とは物事を公平にスムーズに運ぶためのルールと
いう見方もあります。では、ここでのスムーズとは、一体何を指していることなの
でしょうか?
「裁判の公平を維持するため、裁判の進行を妨げない。」これが、ここでの規則
の定義ではないでしょうか。
定員を超える傍聴者が静かに裁判を傍聴し、公平な裁判進行を妨げないので
あれば、この規則の目的は達成されます。そこの本質を前者の裁判官は見極め
許可します。つまり価値判断の柔軟性です。
ところが、後者の裁判官は硬直化した仕組みの疑問も無く、規則という呪縛に
とらわれ、前例のみで判断することで裁判を行います。規則に沿ったものは一見、
正しいという正義にも見えますが、果たしてそうでしょうか?
本来の裁判の目的は真実を見つけ出し公平な答えを出す大人たちの作業の
はずです。このように善か悪を決定できる当事者の判断基準の硬直化で警察、
検察、裁判官という流れがひとつのセットをなり、警察に捕まったものは、
「悪である。」という前提で進められる日本の裁判制度に強い疑問を持ちました。
時として規則が足かせとなる場合もあるということですね。
ところで、前者の裁判官はよく無罪判決を出すので左遷させられたという
傍聴者たちが語り合うシーンやイメージとして裁判官らしくないキャラクターで
ひょうひょうとしています。一方後者の裁判官はいかにも理路整然と物事を
捉え、裁判官イコールまじめで堅物のイメージの裁判官です。
映画の演出ですから真実は分かりませんが、周防監督の表現方法に才能の
一端を見たと私は感じました。
目に見える真実は一部で、多くの真実は見えない部分に存在する
という教訓でした。新聞、テレビ、ラジオなどの報道がすべての全てなんて
思って判断すると、大きなしっぺ返しを食らうことを更に感じ肝に銘じたところ
です。報道なんて、ほとんどが憶測からの暫定情報であるという認識が必要だ。
余談ですが・・・・。
原告・被告の両方をある民事で体験したことのある私のときの裁判官は
確か、前者のようでしたよ。最終的には両裁判とも判決に至らず示談という
解決でした。場所は映画に出てくる東京地裁でした。
花大好きどっとこむ 運営責任者 Shunichi
Higuchi
次回の予告
「労働でお金を稼ぐ」と「お金でお金を稼ぐ」
方法は異なっていますが、意義や理屈は同じです。
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