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Vol 64   2004/3/16 配信済

プロとアマ(狂気の提案)


プロとアマはどう違うのか?
この定義は一体、何をもって測ればよいのだろうか?

プロスポーツは契約金や賞金獲得高、また年棒など、どれほど稼いだかという結果で評価される。もちろん、人気も加味される。しかし、そういったチャンスを得るにも、その前にプロの仲間入りとして第三者に受け入れられる必要がある。

ご存知のように、プロテストやドラフトなど受け入れ先の承認という垣根がある。その垣根をまずは越えなくてはならない。


では、これを花の職業で例えると。とっても判りにくい。花の職業に就く=プロとなりますが、前出のプロスポーツのように所属するとか、第三者に認めてもらうという垣根はない。無知識だろうが、技術がなくてもお店を持てば、また、販売という環境を作りだせば素人でもお金は稼げる。つまり、お金を稼ぐことでプロであると定義つけると花屋さんは皆プロといえる。

また、第三者の承認を受けという世界をみれば、そこにあるのは花市場の競売に参加できる権利(買参権)くらいだろう。でも、その人の才能は問わない。経営に必要なお金があれば、だれでも取得できる。また、花の資格というのも説得力はない。ということは、花の職業はやはり資格や承認ではなく、お金を稼いでいるかということになる。

お金を稼ぐということで言えば、花の世界では、プロスポーツのように個人で巨額なお金を稼ぐ人はまず居ない。成功したといっても上場企業の部課長程度、多くのフローリストが生活するのがやっと。


そこで、お花屋さんがプロスポーツ選手と同じくらいの高額な所得を得るためにはどうすれば良いかと気ままに考えてみた。それが今回のテーマ、「プロとアマ(狂気の提案)」だ。

花のプロはセンスが違う?
どうも説得力が無い。「えっ、そうかな〜・・・。」と思い当たる節はいっぱいある。アマの方が上手い人も、感性に秀でたものをもった人はたくさんいる。反対にそれでもプロ?というような花を作っている花屋さんもたくさんいる事は皆さんもご存知の通り。

だから、技でプロ・アマを分けるのは少し厳しい。じゃ、何をもってプロ・アマを分ければよいだろう。そこで、プロスポーツのように形態にすれば、もっとお金(報酬)を稼ぐことが出来るのではないか、ということでこうなった。

入り口を狭くすればそれで済む。簡単にフローリストに成れない様にすることである。むちゃくちゃ厳しい審査と高度なテクニックを要する試験と下積み実労10年で初めてフローリストして認められるプロテストを行う。そのテストに合格して初めて、フローリストとして名乗れる。それ以外はアマということ。簡単ですね。

生産も厳しい審査をパスした生産物しか出荷できない。また、生産者もプロとしてのテストに合格しないと正規の流通には乗れない。もちろんフローリストもプロでないと正規の仕入れは出来ない。こうすれば恐らく現状の1/100位の数のフローリストに成る。また、過剰な生産も減る。だんだんファシズムな様相を呈してきたが続けよう。

こうでもしないと供給過多は解決できない。
強権の発令だ。

スクールももっと高度なカリキュラムでないと生き残れない。もちろん、正規のスクールとしては認めてくれないから、生徒も集まらない。消費者も、そんな厳しい世界を勝ち抜いてきたフローリストからしか買わない。フローリストと名乗れる事がステータスだ。消費者が良い品を求めたければプロのフローリストから買うしかない。システムがそうなっている。

消費者はアマチュアには温かい目で見るが、お金は落とさない。プロには厳しい裁定を下すが、認められればお金は落とす。とまあ、到底実現できない事を書いた。もちろん、これはフィクションである。こういった選別のメカニズムを現在の自由経済では「市場の原理」というらしい。


皆さんも、たまにはこんな無謀で狂気的な発想は如何。
膠着とした現状を打開するには非常識も時には効力はある。
こういった思考も時には起爆剤として使うのも良いかもね。
でも、こんな馬鹿げた案は実現・・・・・・・不可能だね。

今回はこれで終わりです。
では、また次回をお楽しみに。




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■ 編集後記
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このままでは花市場の、生産者の、花屋の半数が自滅する。
という声が最近良く聞こえてきます。
本当にそんなに厳しいのでしょうか?
ネガティブは実情以上に大きく聞え伝わる。
火事と喧嘩、そして他人のゴシップは大きいほど
話題を集めるものですね。


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■ 無手勝流師範 (勝手気まま!)
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「理想と現実」
もう、この題材は語り作らされた感が否めないが、理想とはなんだ、と問いかけられスパっと明確に答えを返してくれるのは果たしているのだろうか?「理想とは」夢幻なのだろうか?「現実とは」理不尽で、不合理で矛盾した世界なのだろうか?

現実の壁にぶち当たり、だれに頼まれたわけでもなく自分が勝手に思い描いた理想という状況が手に入らないからといって、「これって、やっぱり理想だな!」と言えるだろうか。また、その言葉を他人に言えるだろうか。

理想とは志の高い位置にあるものだ。簡単に手に入る代物ではない。また、簡単に手にするようだったら、それは理想でもなんでもない。どんな壁だろうが、回り道を強いられようが、簡単に気持ちが切れてしまうような理想は本物ではない成り行きで思いついた妄想だ。

例えば、ビジネスをはじめる場合、必ず持たなければならないものに志がある。なぜ、自分はこのビジネスに手を染めたか?また、自分がこのビジネスをやる理由がどこにあるか?自分じゃないといけない理由はどこにあるか?また、これをやることによってだれが喜ぶのだろうか?そして、最後に多くの支持を得るという仕組みを作り出すことが大切だ。こんなことを踏まえて、初めて志がもてると私は思う。

この志が見当たらない人は考えて見るべきだと思う。その答えが見出せない場合は、往々にして自分に合っていないビジネスや職場に身をおいていることが多いものだ。「まずは石にかじりついても3年」という言葉があるが、それは、志を持った者だけに言える言葉ではないだろうか。

志なくて、漠然と就いた職業に障害が発生すれば、忍耐(ガマン)しか残っていない。ガマンが必要な我慢でなく、意味もわからず苦しんでいるだけの忍耐だ。

本当に好きな仕事やビジネスなら、少々の困難を強いられても気持ちが離れる事は絶対に無い、と私は思っている。

また、志あって好きな職業に就こうとも、どこへ行っても人間関係は付きまとう。これは、自分が人間と生まれてきた時からの天命である。その事実を受け入れる事が大切だ。私たち人間(生物)は決して天命から逃げる事は出来ない。 決して、犬に猫に生まれてきたわけではない。当然と言えば当然なことだが、自分が人間に生まれてきた事の理由を
考えて欲しい。

これは自戒をこめて書いている。
儲からなければ直ぐにやめてしまう。
上手くいかなければ、職を変える。
上手くいかなければ、目先を変える。
過去の私がそうであったように、なんと無意味な価値観で
大切な時間を使い、ことを行っていたことか。

でも、こう考えれば前向きに物事は捉える事が出来る。
「できる事から着実に、忘れていたら思い出そうよ。落としたら拾おうよ。」
誰しも失敗はあるものだ、無価値なものに入れ込んだ事もあるものだよ。

そんなことを思う今日この頃でした。

PS:人間は感動しないものには興味は示さない。
   また、感動が得られる仕事を探してでもしたいものだね。
   守らなくて成らないものもあることを知ろう。
   お金が、仕事がすべてではないこともね。



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