商品開発のプロセス
バブル期に、東京のしゃれた通り。
色で統一したコンセプトの花屋さんがあった。
そのコンセプトカラーは白である。
もちろん店には白い花とグリーンだけ。
担当者は自信満々。
新しい客を開拓すると豪語した。
ところが数ヶ月も経たない内に、そのコンセプトはものの見事に打ち砕かれ売上に優るコンセプトはないという現実を思い知らされた。そして閉店という経緯を辿った。まま、ここまで極端ではないだろうが、思いのままコンセプトを打ち出し同じ様な苦い経験を味わった経営者も少なくないだろう・・・・・・。
まさに売り手の勘違いと驕りの顛末である。
そこには消費者の気持ちという居所は感じ取れない。
花へ何を託したのか、また、花がすべてを解決してくれるとでも
思ったのか?業界人が陥りやすい勘違い、商品の質で驚きを
満たせば、きっと売れてくれるだろうという思い込みだ。
資金はある。
店舗設計はトレンドも取り入れた。
客の目を惹くようなコンセプトだ。
最高級のもの仕入れた。
スタッフ教育も万全。
もちろんの如くプライスは表示しない。
陳列器は大きな透明のカビンと白のカビン。
開店を待つ。
そして高級志向の上客獲得を目指す。
読者の方はここまで読まれてどんな感想をお持ちになりましたか?まさか、これと同じコンセプトで現在出店を準備中という経営者さんはいませんよね。まあ、居ても良いのですけど、道楽の域を超えないことです。決してビジネスとお考えにならない方が懸命だと思います。
ところで商品開発のプロセスでユニークな発想をして、一大メディアを作り上げた会社があります。後々思えば、この商品開発考が商売の本道ではないかと思われて仕方がありません。まあ花とは類似点はございませんが、消費者の心をつかむという点では、とっても参考になるお話です。
その会社は皆さんも良くご存知の「リクルート」です。
そう「とらばーゆ」「じゃらん」「住宅情報」などを開発した会社です。
これを開発した人のお話の中で、まず、最初は商品属性を決めないということです。つまり、商品ありきの開発プロセスではないという事です。
今の時代、必要としているものは何かという事から始めるそうです。
兎に角、消費者の聞き取り調査をしたそうです。それもマクロではなく、ミクロ(一人の人間を掘り下げる)です。そして同じやり方で調査対象人数を増やす。何に困っているか?何に対して不満を持っているか?つまり消費者のデメリット探しです。
こういった小さな積み重ねで徐々に社会が求めているものが見えてくる。後は、どのような商品に作りこむか?そして予算の枠組み・採算性と進み黒字化を目指す。というプロセスを歩みます。ともかく買ってくれる消費者があって、すべては決まるという根本を外さないスタイルは流石だと思います。
私たち花卉業界で商売をするものにとって、どうしても花という商材ありきで商品開発をしてしまいます。それも仕方がないことだと思いますが、ここは一度、商品である花をいじるという思考から離れて、現在の消費者は花という商品や店舗にどんな不満を持っているのか?
また、どんな不安を持っているのかという原点を見つめ直す必要があるのではないでしょうか。専門知識や業界慣習を忘れて、時には自分が花屋であることも忘れて真っ白な思考をするべきではないでしょうか。
今回はこれで終わりです。
では、また次回をお楽しみに。
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■ 編集後記
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長いゴールデンウィークも母の日も終わった。
贈られた方、また頂いた方、今年は満足いく花が届いたでしょうか?
年々、花のウェブサイトは増え続ける。
既存の路面店が売上を落としながらも、他の売り場では
強かに売上を拡大している。
花屋さんなんとかしなくちゃね。
堅調とはいえるものではなかった今年の相場は
来年は多くの生産者が生産調整を考えるだろう。
また、売り手も新たなチャンネルを求めて進化することだろう。
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■ 無手勝流師範 (勝手気まま!)
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「究極の勝ち組」
ムラ社会という厳しい規律の残像をしょいこみ、戦後復興という名のもと、強制的に再生を求められた親たちの負を引き継ぎ、ただ成長することのために生きてきた団塊の世代。その子供達が今は第一線で活躍する第三世代の時代になった。
そして現在、社会はグローバルを合言葉に国際感覚ある人材を求める。そのための創造性と行動力、そして個性を求められる。と、ここまではどこにでもあるメディアから発信されるお決まりのコピーだが、果たして社会という曖昧な発信源から求められた人材は居るのか?という疑問は、私の中からどうしても消えてはくれない。
また、曖昧で定義なき国際感覚とは一体なんなのだろうか?他国語を駆使するバイリンガルな人々が国際感覚をもっているのだろうか?というとそうでもないような気もする。アメリカ人より達者な英語を使うバリバリの浪速節志向の日本人はいくらでもいる。
ムラ社会(島国根性)の色濃く残す組織・会社に籍を置く事で、安心という幸福感を満たしながらも自己矛盾に迷走し、低額所得でラットゲームを繰り返し、押し付けの道徳と倫理を守ることが正義と嘯くマスメディアに踊らされ、高度な教育を受ければ、幸せは転がり込むと思い込むお受験仕様の親達。
教育がなぜ必要かという根本も教えず、また、なぜ生きているのかという哲学も持たず、そして、人間としての生きる目的も持たず、犬、猫を人間と同じ扱いすることが動物愛護と思い込み、人間の都合でタバコのポイ捨と同じようにペットも捨てる。
いつまでも教育を受けるという環境から卒業しない人、社会参加を心の中で拒み、また学ぶ事そのものの行為が価値観だったりする。形だけの専門学校で資格を取得する事で目的は達成された思い込み、精神的自立なく社会へ巣立つ。
どれもこれも平和ボケした日本人の姿である。
「社会の富も資源も二極化する。」この言葉はもう聞き飽きたと思う人は大勢だろう。また、「勝ち組と負け組み」という言葉も頻繁に出てくる。大多数の人がこの言葉をわが身に置き換え思考する自分がいることに気付く。「私は、俺はどっちにいるのだろう?」と思いをめぐらすが答えなど出てこない。出るはずがない。負け組みにいるのだから・・・・・。
負け組みの中でいくら思考をめぐらせても勝ち組の気持ちも実情も見えてはこない。“砂糖の甘さを、砂糖の知らない人に説明する事”と同じである。バブルの頃に日本人の多くが日本的物質の豊かさで、自分は中産階級」う勘違いをした。
このメルマガを書いている時に、興味深い記事にぶつかった。
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調査によると、年収1000万円超で、自分が「勝ち組」と意識している人の割合は約58%。500万円超−1000万円では30%前後、500万円以下では20%前後にとどまった。(電通リサーチ)
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この記事は所得を定義としているが、驚きはこのリサーチに答えた年収1000万以下の約半数(50%)の人々が勝ち組と意識しているということだ。本当に、このような金額で勝ち組と思ってしまうのか不思議に思うところだ。これでは先述したバブル期に自分は中産階級だと思った人々と同じ思考である。そう世の中は勘違いとイメージの世界で動いているといっても過言でないようだ。
しかし、本当の意味において勝ち組負け組みの差は1:9もしくは2:8の比率で負け組みが大多数ではあるまいか。いや、その差はもっと開いているかも知れない。
つまり二等分の世界ではないのだ。
クロか白か?
右か左か?
というようなわかりやすい均等のとれた境ではない。
どんなに頑張ろうが、また、どんなに正当性を論破しようが、
世に均等というまやかしの平等はなく現象は不均衡ということだ。
不均衡を理解できている人は無駄な資源や労力を極力つかわない。
また、その法則を知っている。
すべての意味で利益の出る部分を知っている。
その部分に力を集中する。
自分のしたい事へ資源を投入する。
お金であろうと、時間であろうと、コネクションであろうと、
また、趣味であろうとが、私生活であろうと、すべての部分において
何が最大値の効率を可能にしてくれるか。
これを知っている。
もっと平たくいえば、人生設計に置き換えて、幸せと感じないものには
決して手を染めない。
私は本当の意味で勝ち組になるにはムラ社会の呪縛から解放された
人間でしか勝ち組の法則は身に付かないと思っている。
その世代は恐らく次の世代、そう団塊の世代の孫のたちである。
インターネットを生活の一部として使いこなし、世の矛盾と嘘を見抜き、
自己の幸福という個の主張を展開するゼネレーションだ。
そうならなければ社会も生活も進歩しない。
意味もなく周囲と同調する事が善とする思いは偽善に近い。
自分の考えに意見を持ち「定説」や「邪道」という言葉に負けてはならない。
その一番手は何といっても生活環境を充実させたいと願う人々だろう。
非日常を日常に取り入れる。言い換えれば職場も生活環境も非日常の
世界を満喫する事で、能力を出すようになる。
私は個が成長するためには、これが自然の流れであると思っている。
「ねばならない」とする定説は先行者の保身の砦であることを知ろう。
差こそあれ平和な幸福を知ったものは、好んで不幸を求めることはありえない。もっと上の幸福を求める。これが自然の摂理。人間の向上心、探究心はこう出来ているのだから・・・・・・。
これを知り、素早くこれを受け入れる人々、そして結果、企業や組織が成長するという正常な順序を持った時代になると思う。それが本当の勝ち組である。これに気がつかないようでは少ない勝ち組の中に籍を置くことは先ずありえないだろう。
では、私の言う勝ち組と負け組みの定義だが。
勝ち組とは、自分の意思で、また自分の能力で、また自分の世界を作る人という事である。誤解なきように願いたいのだが、二義的なお金や物質を人一倍持ったからという世界では決してないことだけは理解いただきたい。これが究極の勝ち組なのだ。
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