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■ ルーチンワーク
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自己改革を望むにはルーティンワークという呪縛から開放されなければならない。もしも、現在存在するルーティンと手を切れないという方は、残念ながら人一倍の時間と強固な意志と資源を必要とすることを約束させられるだろう。
資源の無駄使いと非効率な生産性で顧客の満足も実現できない身勝手な企業(業界)理論の虜になる。そして、その結末は誰でもわかることだ。決められたバッチ処理しなければ、その日の仕事からいつまでも解放されないというのは妄想に過ぎず、ある意味自分は忙しく働いているという自己暗示をかけているまやかしの行為といっても過言ではない。そんなにその日に片付けなければならない仕事とはそうあるものではない。
確かに、どんな職場でも、このルーティンワークという部分は必ず存在する。また、これあっての生産性も計算できるものであるから、真っ向から否定する必要もない。いや、否定などできないと言っていいほど重要なワークである。
だが、ここで考えて欲しい。
ルーティンワークとは、決められた事をこなせば誰でも出来てしまう仕事の流れである。だが、有能な人材がこのルーティンに足を引っ張られ、望む方向への生産性を実現できない状況に陥っているようでは、つまらない会社組織(仕事)という歯車の一部品になっていることは否めない。
仕事への不満、不平はこのような単純作業から発するといっても過言ではない。つまり面白くない、楽しくないという事である。ならば、これをロボットに任せれば良いではないか。まさしくコンピューターというロボットの得意分野である集計計算と記憶機能だ。
先の見える単純作業は人間の思考能力の低下を招く。
厳しい表現であるが、あなたはという存在は機械の一部になっている。
人間は人間で、無機質な機械物質ではない。
思考して、創造して、行動して、その成果を感じ、感動をもって充実感という
もっともモチベーションに大切な報酬を受け取ることより進化する生物である。
創造性ある仕事をしたければ、このルーティンから逃げださなくては成らない。たとえルーティンがある部分に存在しても、そのルーティンに束縛されないような仕組みを作らなければならない。
経営者の方々へ、その部分にテクノロジーの投入を望みたい。社員スタッフに自由奔放な発想を求めるならば、このルーティンワークを敵視してこそ人材という尊い資源を有効使うことが出来る。制限のない時間、制限のない仕事、制限のない顧客、制限のない人間関係というフレキシブな次世代の企業組織の姿がそこにある。
最後にスタッフミーティングの弊害
ミーティングを開催して碌な意見もアイデアも出てこないならば早急に中止してトップダウンを行なうべし。ボトムアップという全体意見から最善の方法論は生まれるという勘違いは是正されるべきである。
現状報告をミーティングで行なうようではミーティングとはいわない。それは連絡会という。ミーティングは就業中の小さな隙間でも、小さな時間でも充分に機能する。デスクの隅でも、また通路でもできる。様々なアイデアがでたその刹那に行なうことが肝要だ。ちょっとした雑談からでも会社の将来を左右するような意見は出てくるものだ。いつまでも会議という形にこだわり、そのことで仕事をしているという自己満足は避けたいものだ。
連絡会なら社内のメーリングリストで充分事足りるはずだ。一々ミーティングを開いてスタッフを招集することに懸命になる上司が居たらその会社は要注意である。だってその上司にアイデアや改善策がないということであるから。
成長する企業はこのルーティンという流れをどこまでテクノロジーに移行させるかということである。またスタッフをどれほど創造性豊かな職場に配置するかという仕組みで成績は決まる。
前回のメルマガで私はこれからのビジネスはメディア化すると書いた。
メディア化するということは情報をどれだけ正確に顧客に提供する事が出来るかまた、自社のコマーシャルをするかということである。この部分はコンピューターでは出来ない。人間の創造性という有機な機能なくして語れない。つまり頭脳集団を作る事が求められる。
今回はこれで終わりです。
では、また次回をお楽しみに。
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■ 編集後記
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究極の負けず嫌いとは、決して諦めない事である。
自分が決めた目指す姿にどんな障害が立ちふさがろうとも
決して諦めない姿勢を保つ事であると思う。
四面楚歌の状態になれば、誰しも安易な迂回策を思考する。
これは仕方がない。しかし、これはあくまでも思考の一部であり
最後には諦めないとする思考が必ず勝つ。
どんなに詭弁に努めてみても、また、その行動を正当化しようとも
諦めた時点で敗北宣言のゲームセットということだ。
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■ 無手勝流師範 (勝手気まま!)
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これから花の世界で生きて行きたいとする若い方々に申し上げたい。膠着した現状の花卉業界を変えるのは皆様です。もちろん、こんな大層な意識を持たなくとも結果は皆さんの目指す世界でそうなるということである。
既存の定説という呪縛から抜け切れない先輩諸氏に適切な意見を求めること自体愚かな行為であると思った方がよいだろう。幾らキャリア豊富な先輩であろうとも現状のしくみと常識にすがるその姿勢に何の意義があるのだろうか。家族がある。生活があるという理由だけの口実で他の者の幸福を妨げる姿勢に何の真理があるのだろうか。
また自己改革もできないものに若い方々の能力や才能を有効に使うことは不可能なことなのだと断定しよう。おそらく若い方々の才能をつぶすのがオチだ。だって先輩諸氏は自分を守ることで必死なのだから。
そんなつまらない価値観の人々には勝手に守らせればいいじゃないか。先輩諸氏を守るためにあなた方の才能はあるのではない。また、上司面するものたちのためにあなたの才能はあるわけではない。
時代に適応する事のできない環境で無理を強いられている若い皆さんが、決断を緩める事はない。新たな職場を求めて、また独立を求め前進しよう。だって、時代を読めない先輩の多く居る組織で大切な貴方の時間を使うことに果たしてどんな意義があるのだろう。
そのことに早く気付き実行するものが良い仕事ができ、充実感を味わえるという自然なことなのだから。誰のものでもないあなたの人生だよ。簡単な真理がそこにあるだけだよ。年功序列という仕組みは遅かれ早かれ崩壊するのだから・・・・・・。
忍耐というごまかしの言葉で今を肯定するその姿勢に何の意味があるのだろうか。額に汗することを美徳とする意見に耳を貸すことはない。また、そのことに少しの抵抗感を感じることなど絶対にない。いちいち「額に汗・・・・・」といわなくとも労働とは一生懸命に作業に取り組む事なのだから額に汗して当然である。ただ、違いは、間違った方向を向かないことだ。つまり、頑張ろうでは意味は無いという事である。
それが組織だ、それが社会だとのたまう先輩にそれで幸せですか?と問うてやれ。きっとこんな答えが返ってくるよ。「仕方がない。」とね。こんな言葉が返ってくるようでは改善策も改革案も持っていないことの証拠である。とっとと職場を変える準備をしよう。
今しかない貴方の若さとやる気をどこにぶつけるかは貴方の判断に託される。今はブレーキを踏んではいけない。クラッチとブレーキを巧みな使うことに時間があるならアクセルを踏み込もう。
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