ところで、消費の仕組みについて、私は多くの花業界人へ問いかけを行ってきたが、
残念ながら明快な答えをくれたものは少ない。中でも最悪なのが、口では消費者動向の把握や顧客優先など、歯の浮くような言葉がポンポンと出てきて、良い花を提供しなければならない、と盛んに唱えはするが、さて実態は業界通念から一歩も動こうとしない既得権死守の理論武装で、エンドユーザーの利益など、どこにもない消費者不在の思考回路をたどり、行き着く先は自己満足という裸の王様顔負けの最悪の世界を作り上げていることに本人はまったく気が付いていない。
こういった業界から見て都合の良い理論武装する人々は業界という観念が凝固まった人々に特に多い。また、そのことが逆に業界発展に寄与していないことに気が付かないで持論を展開しているから困り者である。
確かに持論を展開する人々の理想を聞くと、それは業界にとってすばらしい理想郷を解説してくれる。しかし、その多くが物流インフラ構築の構想であったり、またそのインフラに乗せることで利益獲得を目論む取り組みに過ぎず、また、作り手の自己満足をくすぐるような生産であったり、また予算消化のための花振興プロジェクトで本当の花振興の意味が薄れることが多い。
また、口角泡を飛ばす割には旧態とした保守的で年功序列型論調を展開し人情的哀愁を前面に押し出し、過去の栄光にすがりついていることに気が付いていない。そこには最終消費者へ幸福感を提供するという本来の目的意識の欠如から来るからであろうか。
これは、まさに川の流れのように上流から下流へと流れるインフラ上に小さな笹の葉を目的もなく川の流れに任せるまま流したに過ぎない。もちろん、いつかはこの小さな笹の葉は大海へと流れ込むだろうが、最終的に名もない浜辺へ流れ着き、ひとつの浮遊物としてゴミとして扱われる。つまり、幾ら高品質の花を生産して、現在の主流である市場流通というインフラへ乗せることだけに傾注すると、笹の葉と同じ末路をたどることになる。
確かに、物をスムーズに流すためにはインフラ整備という命題は避けてはならないことは、充分に理解出来るが、それは、あくまでもコストと効率というものであって、商品(花)そのものが持っている力(魅力)とは次元が違う。本当から言えば優れた生産物を優れたインフラで、という統一された考えの下で取り組むものであるはずだが、残念なところ、これを別々に考えるならまだしも、高品質イコール売れると直線的に考えている人があまりにも多いことに驚かされる。残念ながら、そこには最終消費者へどう認知してもらうかという取り組みは見えてこない。
ものがどうやって売れるか?またどう消費されるかという解析が出来ていない。本当の花振興を視野に入れた取り組みを目指すならば、最終消費者の心をつかむ努力をしなければ、すべての目論みは徒労として一過性のものとなることを自覚する必要がある。
つまりマーケットを創るという取り組み、マーケティングの思考を研ぎ澄ますことが花業界人に今、最も求められている、と私は思っている。