| 第二十九回 |
「水芭蕉のこと」 |
2004/07/28 |
4月半ばすぎ、秋田の田沢湖の近くで、水芭蕉の群生地を見ました。桜にはあと少し、という時期だったのですが、水芭蕉は満開、まだ新芽の出ないハンノキの下で、雪解け水と思われるゆるやかな流れに洗われて、静かに咲いていました。もっとも、群生地に設けられた木道を人間たちが賑やかに歩いているのですけれど。
白い水芭蕉の間に、点々と濃い紫色の座禅草が控えめに点在しています。どういうわけか、水芭蕉はいっぱいあって、座禅草はちょっとしかないのです。尾瀬に行ったことはありませんけれど、同じ環境で咲く水芭蕉と座禅草、どこでもスターは水芭蕉のような気がします。
秋田新幹線の田沢湖駅の周辺でも沿線に水芭蕉が見え、線路のすぐ脇に咲いている場所もありました。そうした場所は、雪解けの季節だけ水が豊富になるのかもしれないと思いました。雪は人間の生活や生産活動にとっては邪魔なものかもしれませんが、山があって、雪があるから、夏の水が確保されるのも確かです。そんなサイクルの合間に、水芭蕉や座禅草が咲くのだと思えば、こうした植物は自然がまだ破壊されつくしていないことの証人のようにも思えます。
以前に青森で、八甲田から奥入瀬に行く途中に、やはり水芭蕉の咲く沼に立ち寄ったことがあります。この時は、6月になったばかりでした。その2週間前には、まだ新緑の気配もなかった山々が、ブナの明るい黄緑色の新緑に彩られ、青森トドマツの深い緑とのコントラストがとても美しかったことが忘れられません。水芭蕉を見るには、少し遅かったようです。その時、私が目にした水芭蕉は大きく生長して、白い苞の部分が物干し竿からぶら下がった手ぬぐいのようになっていました。もちろん、本来の花をつける棒みたいな花序もにょっきりと生長していて、お世辞にも可憐という感じではなかったのです。
でも、滅多なことではお目にかからない水芭蕉の姿を見ることができて、けっこう面白かったです。植物の姿は、ずっと見ていないとわからないこともたくさんあると思います。ガーデニングに人気があるのは、一つの植物の年によっても異なる、さまざまな姿を見ることができるからかもしれません。
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